先日観たTV番組のお話。
私自身の今まで持っていた、認知症患者の方、そしてご家族の様々なご苦労や苦悩、
問題について、今まで持っていたイメージが変わりました。
そもそも、自分自身が認知症を患っているのか?
なかなか患者様ご本人は自覚することが出来ません。
何よりも、まずはその事実を周囲の方々が知ることから始まるのだということを、
わかってはいたつもりでしたが、改めて思い知らされました。
年を重ねるにつれ、人の名前や地名、昔のヒット曲などを忘れたりすることは誰にもあることです。
それを「認知症かも?」と口に出すと、きっと周囲は「大袈裟な」と言われるでしょうし、
その時点で認知症のチェックをすることはまずありません。
そのため、周囲も認知症に気付かず、
事態が深刻になってから気付くということも決して少なくはないと思います。
それだけでもご家族は本当に大変なことですが、
今回のTV番組を通して更にその後の苦悩と現実を知ることになりました。
番組の内容は、
親御様が認知症を患ってしまい、自己判断が出来ず電車にはねられ、
お亡くなりになったというもの。
入院先の病院から外出していまい、
街中を歩いているうちに線路に出てしまったという居た堪れない事故のお話でした。
この事故でのポイントは
患者様ご本人に「状況の把握が出来ていない」「故意ではない」状況でも、
「ご家族に賠償責任が起きてしまう」という点です。
残されたご家族に、本人が病気を患っていたからという主張は出来ず、
鉄道会社に損害賠償を要求される結果となり、
ご家族に大きな負担が生じたという内容に驚きました。
ニュース等でも報道をされていましたので、ご存知も方も多いと思います。
がんや脳梗塞と同様、認知症もれっきとした病気です。
しかし、なかなか見た目からはわからず、
このようなケースの場合、厳しい目で見られているのだと辛く寂しい気持ちになりました。
我々も仕事において、例えば精神科病院の求人をお預かりするときなどには、
「認知症病棟」「入院患者数」「閉鎖病棟」などという用語でやりとりすることもあります。
今回あらためて、
認知症の患者様へのご家族や病院スタッフの方の向き合い方の難しさなどを理解したことで、
我々の使命として、ケアをする医師やケアマネジャー、看護師などの
現場スタッフの皆さまの職場環境などの改善のお手伝いをすべきであることを痛感しました。
最後に、番組内で「徘徊」という言葉のもつネガティブな響きについて触れていました。
これには私も大変共感しました。
患者様ご本人は理解もされず、歩いてしまっている、迷ってしまっているわけですから、
言葉の表現などについても日々様々な情報をお伝えする我々としても意識し、
医療現場の問題点や苦悩を受け止めながら業務に励むべきだと思いました。
大学を卒業後、冠婚葬祭の会社に就職し、葬祭ディレクターとウェディングプランナーを経験。
キャリアが変わっても同じ「人生のお手伝い」に喜びを感じています。